中原昌也他「映画のディストピア」

私のイメージするディストピア映画は、どれも似通っている。一握りの富裕層があらゆる権力を握っていて、圧倒的多数の貧民が、荒んだ狭い地区にひしめきあって貧しい暮らしをして、暴力的に管理されて働かされる。酷い場合には、彼らは殆どゾンビになっている・・・・その環境に疑問をもって戦いを挑むヒーロー、ヒロインが現れる・・・といったものだ。

しかし、この本の筆者陣の定義するディストピアはちょっと違うらしい。「狭義におけるディストピアというのは「問題が解決済みである」か、「問題が間もなく解決されることになる」という期待の上に成り立つ社会のことである」と、ちょっと理解しにくい言葉が並ぶ。私のイメージは、「広義のディストピア」らしい。「そうした広義のディストピア作品が描き出す絶望的な世界は、それがまさに決定的に絶望的であるがゆえに、「調和」と「平穏」をもって任じるユートピア性を欠いているからだ」と、これも理解しにくい。要するに、ユートピアとリンクしていないといけないらしい。

筆者たちが挙げているディストピア映画を題名だけでも挙げておこう。
( * )印は私が見た記憶のある映画で、(%)印は、私も「ディストピア映画」と思うものだ 

「マッドマックス」* %
「ブレードランナー」*
「1984」* %
「華氏451」* %
「未来世紀ブラジル」*
「未来衛生ザルドス」*
「悪の法則」*
「ザ・ロード」* %
「サランドラ」
「猿の惑星」シリーズ *
「バトルランナー」
「ランニング・マン」
「死のロングウォーク」
「ハンガーゲーム」* %
「華麗なる殺人」
「デスレース2000年」
「ローラーボール」
「26世紀青年/ばかたち」
「ディストピア パンドラの少女」
「2300年未来への旅」
「ダークシティ」
「マトリックス」*
「アイランド」* %
「ソイレント・グリーン」
「ゼイリブ」*
「すばらしい新世界」
「デモリションマン」
「THX-1138」
「エリジウム」* %

映画に対する印象的なコメントや、現代日本社会もある意味ディストピア一歩手前なのかもしれない批判的な主張もうかがえる

・「サランドラ」は、低予算のリアルなディストピア映画の完成形

・「猿の惑星」シリーズが、いかに辛辣に人類の愚かさを描き、ディストピア的未来を通して現代社会への問題提起としているか

・「レーガノミックスによって、80年代になると、理想なんてどうでもいい、金さえ儲かればいいんだ、という価値観に変わっていく。そのことに対するアンチテーゼが「ゼイリブ」であるとカーペンターは言っています」



・ 煽動者たちは、「顔のない大衆の憎悪を弱者たちに向けさせる。連中の論点はいつも金だ。皆さんの分け前が犯罪者たちによって掠め取られていますよ、と。生活に満足していない者たちが激怒するポイントを、彼らはよくわかっている」

・ 日本社会は、「既にピースは揃っている。雑な独裁者、メディアと衆愚。それらが悪魔的な合体を果たしたとき、「バトルランナー」のような世界が立ち現れてくるのかもしれない」

・ 日本社会もトランプの米国も、「それなりの品位や知性、さらに言えば人間の尊厳といったものがひどく軽視される世界。自分たちが話すのと同じような下卑た言葉で、権力者が「本音でモノを言う」ことがもてはやされる社会が、いまや完全に出来上がりつつある」




中原昌也他「映画のディストピア」(洋泉社 2018.4.5)
・ディストピア映画について 中原昌也
・猿たちのディストピア ノーマン・イングランド
・フィルマゲドンとは何か 小野寺生哉
・暗黒未来の警官たち 寺沢孝秀
・殺人が娯楽になる世界 寺沢孝秀
・イディオクラシー 寺沢孝秀
・ディストピアを生きる ナマニク
・対談 「ゼイリブ」をめぐって 高橋ヨシキx鷲巣義明
・完全なるユートピア、そこに宿る神性 高橋ヨシキ



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